~すけhistoryその1~
ここでは、ブログ筆者の私のここまでの歴史をザっと振り返ろうと思います。
自分で振り返ることと、ブログ読者のみなさんに少しでも
知ってもらおうと思って書きます。
小学校
3年生・サッカーとの出会い、両親の離婚
サッカーとの出会い
Jリーグの開幕したこの年(1993年)サッカーブームということもあり
小学校3年生。地元の友達と公園でサッカーをはじめる。
毎日夜遅くまで近所の公園でサッカーをしたました。
4対4で永遠と日が暮れるまで試合してました。
とりげんでチームを決めてたんですが
うまいやつから選ばれていく、チームの戦力を均等にするためのチーム分け
ドラフトみたいなやつですね。
8人中常に3番手という地位でした。
サッカーゴールがなかったので
木と木の間、ブランコの中をゴールとして毎日試合してました。
これが本当に楽しくて、テレビゲームもしないで
サッカーに明け暮れてました。
両親の離婚
家庭では、両親が離婚して母親が家を出て行きました。
私は小さかったからか何も知らされず
友達と遊んでいる土曜日に母が引っ越ししていったことを鮮明に覚えています。
ただ、ただ、母親は泣いて謝るばかりでしたね。
衝撃というか理解できていませんでしたね。
父子家庭となるんですが
ある日、おばあちゃんが女の人を連れてきて
「新しいお母さんだよ」とこれまたビックリして
ご馳走がでたんですが、衝撃過ぎて何を食べたかもあまり覚えていません。
一緒に暮らしているんですが基本的に学校行事等には父親が参加し
新しい母親とは事実婚というかフランス婚というか
そんな形をとったようです。
当時はまだ小学生ということもあり、全く理解できませんでした。
離婚も珍しいというか、母親が学校行事、サッカーの送迎も姿を見せないので
ちょっと恥ずかしい気持ちもありましたが
父親の選んだ道なので特に恨みなどもなく
ただ、ただ激動の年でした。
この年の夏休みはじめてディズニーランドに旅行に行って
それ以来、毎年夏休みに家族旅行に行くようになりました。
4年生 サッカーチーム入団
サッカーチーム入団
公園サッカーから卒業して
地元のサッカークラブに入団
ここで本当は、公園サッカーでしのぎを削っていた
のりぴー、じゅんぴー(公園サッカーのとりげんの頭2人です。)が入った長岡SSSに入りたかったんですが
そのチームは、両親の協力というか当番とかが多かったので
フランス婚という感じで、家には母親はいるが
世間的に周りの親とあまりコミュニケーションをとっていない我が家では
子供なりにそのチームに入りたいと言えず
家から通える地元の街クラブに入団しました。
地元の街クラブには公園サッカーの仲間からは
キーパーの野村君が入っただけであとのメンバーは
長岡SSSに入ったので、負けないように頑張ろうと思いました。
こちらの送迎なども友達と一緒に行っていたと記憶しています。
今でも、W杯やアルビの試合など家では見ている父親ですが
私のサッカーは全然見に来なかったのが謎です。
まぁ周りのお母さん方に囲まれて見に行くことや
当番等も苦手なタイプなのであまりしたくなかったんだと思います。
チームで頑張って活動
放課後サッカー、休みもサッカーとにかくサッカー少年
サンフレッチェ広島ファン
少年時代は何故か地元にJリーグクラブがなかったので
何故かサンフレッチェ広島ファン
帽子や筆箱、シャーペンも紫一色でしたね。
今思うとクラスにそんなやついたら不思議な少年ですよね。
当時の広島は結構強くて
高木選手やいまや日本代表の監督森保選手等けっこう代表選手も抱えていました。
ヴィッセル神戸のGK前川選手のお父さんも在籍してましたね。
懐かしい。
ヴェルディとのチャンピオンシップ(当時は2ステージ制がとられていました。)
でのラモスの打ったループシュートをとにかく真似ていました。
友達もサッカー仲間ばかり小4って楽しかったなぁ!!
小学校5年生 最強5年1組
最後のクラス替え 5年1組になりました。
この時は、嬉しかったですね。
なんたってサッカーが強い。
公園時代からやっている長岡SSS所属のじゅんピーに私
その他にも私と同じチームに所属しているメンバーが2人と
なんとクラスにサッカーチーム所属人数が4人
それに加えて運動神経がたかい野球部が3人という豪華布陣
1学年4クラスでどのクラスもサッカーが流行っていたため
よくクラス対抗で試合をしてたんだけど、ほとんど負けなかったですね
学校では負け知らずの私も所属チームでは1コ上がそこまで強くなかったこともあり
5年生で試合に出てたんですがこちらは、コテンパンにやられてましたね。
学校でも放課後も毎日サッカーしていたので
この頃から徐々にうまくなってきた気がしました。
サッカー以外の生活はというと兄がスラムダンクの影響で
スラムダンクでは海南が好きでした。
バスケ部に入部したため、家の狭い道でバスケの1on1をよくやらされました。
この特訓でサッカーの守備の1対1がなんとなく強くなった気がします。
サッカーばかりやっていた小学校時代
小学校6年生
最強の助っ人登場
小学校も最終学年となり、町クラブでも最高学年になりました。
5年生の時はトップ下だったり、センターFWで頑張っていましたが
チームがなかなか勝てずに悔しい思いばかりしてました。
そして、6年生になるときにチームがコーチを何人か増やして
さらには、スポーツ店等にポスターを掲載して選手を募集しました。
ここで市内の小学校のサッカー部から強力な6人がまとめて入団します。
当時、じゅんピー、のりピーは所属する長岡SSSに加えて
県内でもトップクラスの実力を誇る長岡ビルボードが2台巨頭として長岡に君臨してました。
この6人の入団でチームが全く別のチームに生まれ変わり
たった1年ですが6年生になってからの試合は勝つことも多く
サッカーの試合を心から楽しめるようになってきました。
特に左利きの高野君は、強烈な左足と抜群の身体能力で同学年とは思えない実力でした。
10番の涌井くんはテクニシャンでとにかく上手かったですね。
この二人が県トレセンに選ばれチームとしても県大会に出場する等
去年が嘘だったみたいに勝てるようになりました。
この6人とは後に中学校でライバルとなるのでこれがまた面白いところですね。
学校生活
小学校のイベントに修学旅行、運動会っていろいろあるけどほとんど記憶ないですね。
記憶にあるのは昼休みのサッカーぐらいかな
ってサッカーばかりしてましたね。
ポケモンとかドラクエとかゲーム流行ったんですが
ポケモンはやらなかったですねー
後に自分の子供がポケモンやることになるんで
この時やっておけばよかったなぁとちょっと後悔しています。
ドラクエ5は兄が購入したことで少しやらせてもらいました。
とにかくサッカーに明け暮れた小学校時代でした。
中学校からはのちのち 書いていきます。